Loosely connected new sense communications portal site

Log in
Username:

Password:


SSL Lost Password?

Register now!
Cu-townMenu
Language choice



 携帯からCu-townを使おう♪
携帯電話から上記QRコードを読み込むとアクセスできます。
TOP  >  Diary  >  mikiochiba  >  私の東北復興プラン  >  私の東北復興プラン1

mikiochiba 's diary

 
2011
Jul 2
(Sat)
15:03
私の東北復興プラン1
Contents
私の東北復興プラン                 
                                ノンフィクション作家 千葉三樹男
                                      
 私は今回の震災・津波で甚大な被害を受けた東北、岩手県釜石市唐丹町小白浜に生まれた。ここは我が家の祖先が数百年来住み続けた場所で、周り中が親戚だらけ。はるか昔のことがつい昨日の出来事ように語られる環境で『かじや(屋号)の孫』として育った。
 しかし、小学校四年の時に北海道室蘭市に移り、その後定年近くなった父が釜石へ転勤し、唐丹町片岸にあった持ち山の一部を造成して居を構えた。我々子どもたちは相前後して家を離れ、老夫婦二人暮らしをしていたが、十年ほど前に父が脳梗塞を発症し、在宅介護の必要から二人を東京に呼び寄せた。
 震災後、地形がわかっているだけに、伝えられた津波の情報からかなり正確に被害の様子を想像していて、国土地理院の航空写真で確認した。我が家は形が残っていたが、裏の杉林の裾が変色していることから二階部分まで津波に飲まれたようだ。あのまま老父母が住んでいたら、確実に逃げ遅れて津波に流されていただろう。
 私自身ある事情から釜石を嫌っていた。「故郷はないもの」と思い、連絡を絶っていた。親戚の老人たちが死んでいき、私を知っている人がかなり少なくなった。そんなところへ連絡をしても……。ただ手をこまねいていた。
 しかし、日を追うごとに「何かしなければ」という思いが強くなった。神秘主義者じゃないけど、「故郷に呼ばれている」気がするようになった。数百年来の分家の当主で母の従兄弟が肝臓がんで亡くなる前、見舞った私の顔をジーっと見て、「三樹男、お前おじぃさんに似てきたな」といった。曽祖父は大正から昭和の初めに政府に鉄道敷設を求めた「筆頭請願人」で、三陸鉄道は曽祖父たちの悲願だった。その三陸鉄道も甚大な被害を受け、人々の「足」が奪われた。――というような様々な思いが頭を錯綜し、「何ができるのだろう」との焦燥感に包まれていた。
 一方で、それを拒否する自分がいる。
意識不明になった父を簡単に見捨てた兄や弟。父の死後、財産目当てにあからさまな嫌がらせを始めた妹夫婦。よくも知らずにそれぞれの肩を持って、もっともらしい説教を私にしてくるバカたち。彼らに対する強烈な怒りを必死に抑えていたが、ついにバーンアウトし、人嫌いとうつ状態に陥った。
以来、悪いとは思いつつこれまでのつながりを一切絶ち、仕事も何も放棄。生きるのも死ぬのも面倒くさかった。衝動買いしたシーズーの空(クウ)と二人暮らしを始め、自己流のドッグセラピーをしながら、ただただ無目的・無気力に生きていた。
しかし、頭のどこかに「何かに生かされている」という感じがあった。生かされているのは、「未だ使命が残っているからだ」との予感である。
そして、これも予感だが、突然に昭和大恐慌のことが気になり、資料に当たっているうちに「これで震災が起きたら二の舞になる」との思いが生じた。しかも大地震に襲われる夢を見た。数人の方には冗談で話していたが、実際に起きてしまった。それも東北地方が甚大な被害を受ける形で。
いつしか、私は「どうしたら東北を復興できるか」を考え始めていた。あらあらとだが、方向性と幾つかのプランらしきものが固まってきた。そんな折、㈱N.H.Rの堀川眞吾氏とたまたま道で出会い、彼らの「熱い思い」を知った。既にネット上での支援システムの構築に着手しているという。
即断で彼らとの連携を決めた。犬仲間である堀川氏には私のブログ『犬犬交遊録』のサイトを提供していただいていて、人生を再構築中の私にとって数少ない信頼を置いている人物の一人である。
 彼らも私も、直接的な支援を考えていた。それも被災地での生活再建には『仕事』が必要不可欠。それに意欲的に取り組もうと考えている人・組織を応援する形だ。それが、以下に紹介するプランAである。プランB他は、今のところ私が個人的に頭の中でシュミレーションしているもの。まとまり次第協力者を求めていきたい。


プランA 生活再建支援ネットワークの構築とサービス提供
我々は東北復興支援プロジェクト「信じよう復活!東北応援団」を立ち上げた。これは①「直接支援したいが現地の情報がわからないという人」と、②「仕事再開に向けて支援を必要としている現地の人たち」とをネット上で結びつけ、ダイレクトにサポートできる『場』を提供するもの。
いわば、①と②との間にあるミスマッチの解消を目指している。もちろん、支援が目的だから、②の側には一切の費用負担はない。ただ、簡単なものでいいから情報を寄せていただく必要がある。それを元にネット上にページを作成し、①の側はそのページを見て支援先を決め、直接支援するという方法だ。
現在はシステム構築を終え、最終チェックを行いながら広報活動を展開中。現地で「手を挙げてくれる」ところが現れ次第本格的な運用を行うことになっている。


プランB 放射性物質除去活動
 東京電力福島第一原子力発電所の事故によって膨大な量の放射性物質が環境にばら撒かれた。地震や津波が引き金になったとはいえ、その後の調査で『人災』という側面が明らかになってきた。その点に関してここで言及はしないが、東電、政府や自治体などの対応に関しては怒りを覚える。
 必要なこと(場所や期間など)を示さずに避難命令や勧告を遅れ遅れに出し、あまつさえ「自主避難」とは! あきれたボンクラ揃いだ。加えて、学校のグラウンドの表土を剥がしたはいいが、その汚染土壌をグラウンドに山積みしたまま放置。文部科学省は「天地返し」といったバカな指針を示したが、それが根本的な解決策になるのか! バカも休み休み言って欲しいものだ。
 現在、福島原発では放射性物質で汚染された水を浄化、冷却水として循環させるシステムが稼動し始めた。これはシステムとしては大掛かりだが、原理的には吸着材に放射性物質を吸着し水から分離する方法である。アメリカとフランスの企業が提供した。ちなみに、フランスの企業には20兆円支払われるとか。
 それはともかく、環境に拡散した放射性物質はどのように処理するのか。我々国民はむざむざと放射線を浴び続けろ、というのか。どこもその方法を示していない。知識不足と資金、加えて法律の問題があるから手をこまねいているのだろうか。
 結論をいう。
 低レベルの放射性物質は安価で簡単な方法で除去できる。吸着材としては4種類あり、これを用途によって使い分けたり、組み合わせたりするわけだが、最終的に浄化した土壌や水は環境に返し、汚染した吸着材は回収し厳重に保管する必要がある。
 例えば、農業用のため池や用水路には吸着材を沈め、一定期間が過ぎたら回収して保管。あるいは、土壌浄化ではセシウムなどには親水性(水に溶けやすい)、粘着性があるのを利用して、いったん土から水に放射性物質を移し、その水から吸着材に吸着させる方法だ。
 文章だけではわかり難いので、現在絵解きのためのイラストを描いてもらうことになっている。詳しくはそれが出来上がってから改めて紹介する。


プランC 東北をエネルギー生産地域に
 元々東北地方は農業・漁業が盛んで食料の一大生産地だった。もちろん、その再建・復興は最重要テーマだが、これだけでいいのか。
 視点を変えれば、食料というエネルギー生産だけにこだわるのではなく、もう一つのエネルギー生産の拠点にできるのではないか。つまり、全く新しい産業の創出。バイオ石油の生産基地である。幸い、日本酒や味噌、醤油など「醸造」の伝統や技術がある。あるいはワカメや牡蠣などの「養殖」の知恵も蓄積されている。これらを生かして微生物の力を借りて石油を生産するわけだ。
 何をバカな、と思われるかもしれないが、実際石油を作り出す微生物が見つかっており、その研究では日本が世界をリードしているのだ。それも有望な株は2種類知られていて、①は光合成で、②は有機物を吸収・代謝して石油を作る。効率的にはトウモロコシや大豆などからエタノールを生成する方法よりはるかに高く、食料危機を加速させることもない。研究は実験室レベルを過ぎ、フィールドでの実証実験が行われている。実用化目前にきているのだ。
 津波による塩害で耕作できない田畑、復興が後回しになっている漁港や沿岸部などでこの微生物を培養し、石油を回収する。つまり、新しいエネルギー産業を立ち上げるわけだ。
 そして、行く行くは日本を産油国に! 悲願である自前のエネルギー源を持つのだ。
これについても追々詳細を明らかにしていく。

View(6144)
The comments are owned by the poster. We aren't responsible for their content.

Poster Thread
NAKADA
Posted: 2011/8/31 21:29  Updated: 2011/8/31 21:29
Quite a regular
Joined: 2011/7/21
From: 宮城県仙台市
Posts: 59
 RE: 私の東北復興プラン1
今読ませていただきました。

 Cの微生物による燃料生産方法は、オーランチキなんとか・・・とかいうものだった記憶があります。
 休耕田を利用すれば国内需要どころか輸出できるだけの生産が可能とのことだったと記憶してますが間違っていますか。
 この研究は、2~3億円の開発予算が付けば早い時期に実用化できると記憶しています。
 是非被災地の産業として取り組むべきだと思います。

 私は31歳で勤めていた会社を退職し、今まで二回会社を設立し、潰してきました。
 会社を作りつぶす度に社員に迷惑をかけていたので、4年前から私一人で水産流通の仕事をしてきました。
そのためか、Cプランを実行する場合の初期投資や段取り、沿岸漁村での可能性から考えてしまいます。
 課題は、行政へのバックアップ、生産拠点の選定、初期費用の調達、被災者移転費用、規制の緩和などの大きハードルを超えなければならないことです。

 このよな事業を行えるのは、大資本企業がメインになるのだろうと考えられますが、できれば、地方行政と被災者での起業駕できればベストだと思います。

 
Reply

Poster Thread
mikiochiba
Posted: 2011/9/1 22:51  Updated: 2011/9/1 22:51
Just can't stay away
Joined: 2011/6/13
From:
Posts: 148
 RE: 私の東北復興プラン1
 ご理解いただき、ありがとうございます。

 私の個人的な意見としては「大企業の参入は拒否」すべき。

 国家プロジェクトとして、地方自治体と地域住民が共同で行える形にするのがベスト。

 ここでは詳しくはいいませんが、東北大と筑波大を抱き込むこと。

 --といったことを考えています。
Reply



Copyright (C) 2011 Cu-town. All rights Reserved. Powered by Cu-town 実行委員会.